お久しぶりです。
三寒四温の日々ですね。
昔はちょっと苦手意識のあった沈丁花が香り始めました。
どんどんと進んで行く春に、自分だけ置いてけぼりにされるような焦燥感を抱いたこともあって・・・
今では、沈丁花の香りに出会うと、そういった若かりし頃の自分を懐かしく思い起こします。
東京に戻って数か月・・・ときどき、学館まで宗家のビデオ講座に足を運んでます。
通学してた当時は子育て真っ最中で、宗家ビデオまでは拝見できなかったので、
先月のお話は、昭和60年代の頃で、世の中が権力期から動乱期に移行しようとしてるときで、
「新しい時代に対処する方法~時代の変化で運を掴む~」
こういう演題でした。
この60年代から10年毎の世の中の動き、流れを思い出しながら、お話を拝聴しました。
印象的だったのは、先生が算命学を教え始められました当時、算命学の柔らかさがなかなか人々に理解していただけなかったというくだり・・・
例えば、牢屋に入ることになった人がいたとしましょう。その本人は牢屋に入るのですから不幸だと考えるでしょう。
でも、算命学では、「やった!これで昼間、よく眠れる」と考える。
病気になった、そしたらその環境を利用していく。
貧乏になった、貧乏という環境だからこそできることをやる。
お金持ちになったら、お金持ちの環境を利用していく。
つまり、どういう環境に置かれても、そのとき与えられた環境を利用していく、
そこに算命学の極意があるのだと。
沈丁花の香りに気後れを感じたころは、こうでなくてはいけないという世のおもわくに振り回されてた時代だったのでしょう。
おおおーーーこの柔らかさ、、、掴めてるな!って思いました。
ありがたいことです。