「運命とは持って生まれた宿命と、それを取り囲む環境の接点に生まれるエネルギーの燃焼度合」
この定義をよく咀嚼して、生き方や環境を振り返ってみるだけでも、かなりの改良が可能でしょう。
この定義、頭で分かったつもりで・・・
算命学や四柱推命など少しを囓ったとしても、自分の運命は果たしてどうなのか、いいのか、悪いのか、あの人と比べてどうなのか・・・
という方向に走ってしまうことが多いのかも・・・
この一番、単純で、原点とも言うべき定義ですが、
他の占いと異にするのもこの点です。
自分に与えられた環境・・・というか、実は自分で選んで来た今生の環境なのですが、
その環境には、五徳の何が構成されてるかは、それぞれ違うわけです。
自分に構成される五徳を、燃焼させるには、どういう環境に身を置けばよいのか・・・
五徳のみならず、守護神、位相法・・・
例えば、草木は順調に育つのか、
生き方に如何ともしがたい癖はないか・・・
では、その癖を自覚して、どう責任を取っていくのか、
そういうところにも処世のヒントがありそうです。
もし、名誉を得ることだけが善・・・という育てられ方をした場合、
他の五徳に宝物があるにも関わらず、絶望感を味わうことにもなりかねませんし、
本来の自分自身を見つけ出すのには相当な時間を要することとなるでしょう。
近道という点で、また「楽」という観点からも、宿命通りの環境に身を置く、あるいは作り出して行く、ことになりますが、
紆余曲折があって、全くかけ離れた環境から本来の自分自身を取り戻して行く過程・・・
その道中に垣間見、そっか・・・と、ひとつひとつ気付かされ、不要な呪縛を脱ぎ捨てて行くことにも、生きている醍醐味がありそうです。
本来の環境を的確に教えてくれるが算命学ですが、
算命学を識らなくても、真摯に自分らしく生きようと決心したときから、間違いなくそういう方向に修行は進んで行くのだと思います。
算命学は、早くにその環境を教えてはくれますが、
ふんわり、ゆったりと、「Who am I ?」を感じ取って行く過程のようでもあります。