リクエストその2、ということで五嶋みどりさんを取り上げます。
五嶋みどりさんはこんな方
五嶋みどり(ごとう・みどり、1971年10月25日 大阪府 – )アメリカ合衆国を拠点に欧米で活躍する日本人ヴァイオリニスト。海外では、「Midori」の愛称で親しまれており、彼女自身も、母親の離婚を機に苗字を省いて、ただ「みどり」と呼ばれることを容認している。東洋から訪れた神童(音楽的神童)として出発、その後も順調・着実に経歴を重ねており、将来の円熟とさらなる大成が嘱望される若き俊英である。異父弟五嶋龍(龍)もヴァイオリニスト。2歳の時に絶対音感を母親に見出されて以来、ヴァイオリンの早期英才教育を受ける。6歳で初めて公開演奏を行い、パガニーニの≪カプリス≫を演奏した。1982年に母親に連れられて渡米し、ニューヨークのジュリアード音楽院(ジュリアード音楽学校)において著名な教授ドロシー・ディレイに師事。入学試験ではヨハン・セバスチャン・バッハ(バッハ)のシャコンヌを通奏した。同年、ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演してアメリカ・デビューを果たし、その後もともに協奏曲の録音においてもしばしば共演を重ねてきた。1985年のタングルウッド音楽祭では、レナード・バーンスタイン指揮のオーケストラと共演した際、2度もヴァイオリンの弦が切れるアクシデントに見舞われながらも、即座に楽団員から楽器を借りて演奏を乗り切り、はやくも大物振りを見せ付ける。その冷静沈着な判断力と、切れることのない集中力に、楽団員とバーンスタインは、尊敬と驚嘆の声を上げたという。翌日のニューヨーク・タイムズ紙は、「14歳の少女、ヴァイオリン3ちょうでタングルウッド征服」との見出しが躍った。15歳で、自らの意志によりジュリアード音楽学校を中退、その後は大学進学を決意し、ニューヨーク大学ガラティン校にて心理学などで学位を取得、2001年に最優等により卒業した。早くから社会事業に関心を示し、1992年に非営利団体「ミドリ&フレンズ」を結成、都市の恵まれない学童を対象に、音楽の楽しさを伝える活動に取り組んでいる。2001年にエイヴリー・フィッシャー賞を受賞、賞金をもとに「パートナーズ・イン・パフォーマンス」基金を設立する。その後も、地域ベースの社会事業をふたつ発足させている。つい最近では、南カリフォルニア大学ソーントン校舎音楽学部のヤッシャ・ハイフェッツ記念講座に講師に採用されている。さらに、例年の国際的な演奏活動に加えて、マスタークラスや学童対象のレクチャーコンサートの主宰に多忙のかたわら、修士論文を執筆中である。得意とするレパートリーはモーツァルトやシベリウスの協奏曲、パガニーニの≪24のカプリース≫全曲といくつかの協奏曲、ベートーヴェンやセザール・フランク(フランク)のヴァイオリン・ソナタ、たくさんのアンコールピースがあるが、エルガーのヴァイオリン・ソナタやシマノフスキのヴァイオリン曲集など、珍しいレパートリーの開拓にも意欲的で、2004年には東京で現代音楽のワークショップにも講師ならびに出演者として参加した。愛器は、1734年製のグァルネリ・デル・ジェズー“エクス・フーベルマン”。
バイオリニストの節さんのご著書「母と神童」をリクエストいただいた方に勧めていただいたのですが、まだ本も手にできていません(ごめんなさい!)。
天才少女と呼ばれ、小さい頃から演奏されるのはよくテレビなどで拝見しました。母と娘・・・娘の才能を開花させる母の生き方・・・・読んでみたいです。
「母と娘」・・・「嫁と姑」と同じくらい永遠の重~いテーマ、ですよね。
私も4人目にして娘を得ましたが、節さんのような親であることはできもしないし、畏れ多くてお手本にもできない!・・・です。
それでも、ご著書の中で、節さんのお嬢様への「愛情」だけはぜひ感じ取ってみたいな、と思っています。
どうでもいいことですが・・・
私は、わが娘に対しては、ただ一つ、娘の生き方の邪魔だけはしたくない、という気持ちで生きてます。
予定としてはその後、弟の「龍」さんも取り上げますが、その前にさっき何気なく、子平の星図の眺めていて、「松任谷由美」さん、を、みどりさんの次に看てみたいと思います。
片や、天才少女、クラシックの世界的な演奏家、片や、シンガーソングライターとしての不動の地位を築いたミュージシャン。
ふたりの星比較、興味あります。
お嬢ちゃまを、グローバルに音楽の道に、と思われる方、必見です(笑)!
みどりさん、明日行ってみます!