昨夜の「月曜エンタぁ!」ですが、一夜明けても印象に残っているのが、チェスキーナ洋子さんのシンデレラ人生です。
チェスキーナ洋子さんというお名前はちょっと記憶が正確かどうか分かりませんが・・・。
ぜひ生年月日が知りたかったのですが、検索では見つけられず・・・でした。
裕福な家庭にお生まれになり、少女期に母親が突然家出、その2年後に父親が亡くなられるという波乱の人生の幕開け。
その後は親戚の家を転々とし、小学生時代も女中扱いで育ったそうです。
その後、芸大のハープ科に進まれ、イタリアに公費留学、イタリアでの苦学生時代にチェスキーナ家の御曹司に見初められ、ご結婚、といっても入籍は大分後になってからだったそうですが。
ご主人は既に亡くなられ、現在はベネティアのお城にひとりでお住まい。
750億という遺産は、レストランやベネティアングラスのお店の経営や、文化財、文化施設などへの寄付、中越地震やスマトラ島沖地震の津波被害に寄付、という人生を送られている女性です。
インタビューで語られた洋子さんの人生では3つのことが強く印象に残りました。
まず「ピアノ科は無理でも、パープ科だったらその当時は人数も少なくピアノで受験できましたから。
どうしても芸大に行きたかったので・・・」
なるほど・・・。
その後、公費留学の資格を得られたということは、このハープの分野では一流になられていた、ということですね。
まずハープへの変更、この機転には学ぶものがあります。
そして芸大に入る学費を積むために2年間音楽の代用教員をされ、入学後も8年かかって働きながら卒業されたということですから、根性が違います。
イタリアでは猫がご縁でご主人と偶然の出逢いをします。
あのとき出逢った東洋の女性を探すために、ベネティア中を探させたといいますから。
その偶然・・・運命でしょうが、それは彼女自身が、ご自分の人生をご自分で切り拓こうという強い意志で生きて来られたからこそ招き得た僥倖という印象でした。
現在は、亡くなられたご主人を深く敬愛し、感謝されながら、爽やかに社会奉仕に余生を送らています。質素な生活、私欲もなく、無駄もなく、実に美しい老婦人でいらっしゃいます。
あの気高さはやはり日本のシンデレラ・・・。
自伝を出されているようですから、ぜひ読んでみたいです。