愛は決して止めはしないということを

2009年5月26日

Category : My Diary

今日の立ち止まり箇所・・・
宝物を探し続けるということは、ファティマを捨てなければならないことを意味していた。
「では、もし僕がここにとどまったら、どうなるのですか?」
・・・・・・・・・
三年目にも、前兆はおまえの宝物や運命について、語り続けるだろう。
・・・・・・・・・・
ファティマは、自分がおまえの追及の邪魔をしたと思って、不幸になる。
しかしおまえは彼女を愛し、彼女はおまえの愛にこたえる。
おまえは、ここにいてくれと彼女が決して言わなかったことを思い出す。
砂漠の女は、自分の男を待たなければならないと知っているからだ。
だからおまえは彼女を責めはしない。
しかし、おまえは砂漠の砂の上を歩きながら、もしかして、自分は行けたかもしれない・・・もっとファティマへの自分の愛を信じることができたかもしれない、何度も考えてしまう。
なぜなら、おまえをオアシスに引き止めたものは、二度と帰ってこないのではないかというおまえ自身の恐れだったからだ。そのとき、おまえの宝物は永久に埋もれてしまったと、前兆は語るだろう。
4年目のいつか、前兆はおまえを見捨てるだろう。
おまえはもう、それに耳を傾けるのを止めてしまうからだ。
しかし、そのときには、おまえはお金持ちの商人になっていて、多くのらくだや商品をもっている。
その後の人生をずっと、自分は運命を探求しなかった、もうそうするには遅すぎると思って暮らすだろう。
・・・・・・・・・
男が自分の運命を追求するのを、愛は決して止めはしないということを、おまえは理解しなければならない。もし彼がその追求をやめたとしたら、それは真の愛ではないからだ・・・大いなる言葉を語る愛ではないからなのだ。
「おまえをオアシスに引き止めたものは、二度と帰ってこないのではないかというおまえ自身の恐れだったからだ」
この場面が好きなので・・・

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