我が子が「その日を選んで生まれてくる」ということが、やはり全てなのです。
昨日でもない、明日でもない、「今日」という日を選んで生まれてくるということには、その親に、その日に、子供を送り込もうとする神の計画が確かにあるんです。
ある夫婦に子供が授かりました。
ふたりは心を込めて愛しんで育てます。
それから数年経って、また子供が授かりました。
2人はまた一生懸命に育てるでしょう。
それからまた数年経って子供が授かりました。
2人は、頑張ってその子も大切に育てるでしょう。
3人は男の子としましょうか。
世間では、「3人も男の子、跡継ぎの心配はもうないね」ということになるんですが・・・。
上の子は8歳に、2番目は4歳に、3番目は生後間もない赤ちゃんということにしましょう。
彼らは一人ずつ別々の宿命を持って生まれてきているのですが・・・。
極端な話、長男は子丑天中殺、次男は辰巳天中殺、三男は戌亥天中殺なんていう場合、です。
その3つの天中殺は継承運ではありません。
初代運であり、一代運であるわけです。
実際は宿命天中殺などさまざまな要素を複合的に判断するので、この例が絶対ではありませんので。
これは単に分かりやすく説明するために取り上げたにすぎないのですが・・・。
こうして、目の前にいる子供達の天中殺だけ取り上げても、その親のその後の人生がある程度は予測できてしまうのです。
継承運の子供が生まれない、ということは、将来自分達は子供達に遺してやれるものを築けない、ということかも知れないですし・・・。
あるいは財産を築いても・・・あるいは先祖伝来の財産をですね、愛するこの息子達の誰かに継承させようとすると、その子供はその財を散じてしまう、などということも・・・。
そんなことが、小さな子供達を目の前にして、大体予測できるわけです。
とっても恐いような話ですが・・・。
子供から親の将来を予測する技法があるんです。
だからといって、こんなこと知らない方が良かった、ということではありません。
知らなかったら、そのまんま翻弄されてしまいがちなのですから。
こういう場合も算命学には改良法があります。
ケースバイケースですから、説明は難しいのですが、基本的には子供が一人前になったら「おまえはおまえでやって行きなさい」と突き放すことで、親子お互いの成長がストップすることはなくなります。
過保護は禁物ということです。
また、これをきっかけに、ご自分の人生を、今生の修行に思い至り、受け入れて行くっていう生き方もできるわけですね。
不運だとかそういうんじゃなくて、その人間にはそれを背負う何か、神が「そう」と決める家系の流れやその方の過去生がある、ということだと思います。
それが紛れもなく、その方の環境、舞台だということでしょう。