今朝、当地は曇っています。
この曇りはその後、晴れに向かうのか、あるいは雨に突入していくものなのか、は天気予報である程度は予想できますからで安心して暮らせるわけですね。
算命学とは、人生の天気予報のようなものです。
今日もこれから数人の方の鑑定をさせていただきますが、このところ星を看させていただきまして、深く感じ入ることがあります。
大体3つのパターンになります。
この土砂降り、来る日も来る日も雨、じっと我慢です。
いくらんなんでもそろそろ雨も上がるんじゃないか、そろそろなんじゃないか・・・
という「機」を感じ取られた方。
この晴天。雲ひとつない快晴。全てが順調。
しかし、こんな状態がいつまでも続くはずない、全ては無常なのですから。
という「機」を感じ取られた方。
数年前までは晴天だった。しかしあるときを境に急降下、完全に土砂降りの中・・・。
ここはこのまま「守り」なのか、それともここからこそが「攻め」なのか・・・。
という「機」を感じ取られた方。
この3つのパターンは「機」を伺う姿勢としては実に的確だと思うのです。
人生という長いスパンでも、あるいは今年、来年という短いスパンでも、「手遅れ」だけは避けなければなりません。
たとえ1年でも、その手遅れが生涯に響くことも多いですし、たとえ取り戻せたとしてもも、何年もの時間を費やしてしまうことにもなりかねません。
確かに算命学には、手遅れに対する処世法、改良法もありますが、この3つの「機」の掴み方は必ずプラスの方向に運気を運んでいくことができます。
滞りがありません。
あの時、ああすればよかった・・・そんな経験は殆どの方がされているでしょう。
そこで学ぶものは確かに大きいのですが、やはり「雨に備える」「雨の日の過ごし方」という生き方は処世の基本ですね。
「機を見るに敏」
それが大切なんだと思います。