「涙の自立」 冬ソナの場合

2004年12月20日

Category : 冬のソナタ

昨日、「まるごと韓国」の第三部で大林宣彦監督こんなお話をされていましたね。
純愛というメロドラマでは、「こんなに悲しい私」「こんなに可哀想な私」「運命に翻弄された私」という主人公の利己的な涙がつきものであるが、「冬ソナの登場人物の涙」は違うのであると・・・。
ユジンは自分が悲しいときは泣いていない。死んだようになっている。
彼女が泣くのは、嬉しいときである。
「本当に彼を愛している」「一生懸命愛していると解る自分」そんな強い涙。
サンヒョクもまた、自分が悲しいから泣くのではなくて、
「愛する人が苦しんでいる姿を見て泣く」
愛する人のために流す涙。
そしてチュンサンは二人の鏡であると・・・。
そんな二人の涙を理解し映し出すためにために、きれいに磨いてここに立っているのですよという鏡。
チュンサンの涙はそんな涙。
なるほど・・・。
冬ソナの涙は夫々が「自立している涙」なんですね。
それぞれの涙の違いって素敵です。
夫々が、愛の強さであり、思い遣りの優しさですね。
今日から「冬ソナ」完全版ですね。
韓国語の響きを楽しみながら、今度こそキャストさん達が真剣に、役柄の真髄を掴んで演じている姿を味わってみたいものです。
涙にも注目、台詞にもじっと耳を傾けて・・・今年の締めくくりにしたいものです。

この記事を読んだ方はこの記事も読まれています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください