「ご神仏」という言葉から日本的なものを想像してしまいまして、
秋生さんのアドバイス下さった「ご神仏」のイメージを知りたいと
思いました。
○○さんからこのようなご質問をいただきましたので、今日は、私の「ご神仏観」について、です。
神は神道、仏は仏教とするなら、確かに私の数十年の人生にも、そのいずれにもご縁のある時期がありました。
でも、それは自主的なものではなく、いずれも夫の生き方に付随するものだったようです。
夫は、若い頃、現代医学の治療が却って害になるという憂目に遭って、長年、こじらせたアトピー体質に苦しんでいました。(おかげさまで今では回復しています)
化学薬品が主な現代医学、漢方などでも効果が得られないという状況で、拠り所とするものは宗教以外に何があるでしょう。
知り合った頃には真言密教の修行者でしたし、その後も人生の紆余曲折があって、神道の修行をしていました。
一緒に暮らすようになれば自然にそういう修行にも同行するようになり、最初は多いに抵抗もありましたが、私自身、本来、宗教的人間であることに気付くきっかけともなりました。
いかなる宗教団体にも属しておりませんし、ある特定の神仏を盲信したり、「頼ろう」と思うことも全くありません。
ただ、お仏壇と神棚に、作法に従い、合掌し、お祈りを捧げるということが日常、というだけです。
一言で言えば、神仏、キリストなどに拘らず、絶対的な神を尊敬し、合掌し感謝を捧げる、ということでしょうか。
生かしていただけることへ感謝を捧げること。
そして、関わる全ての方々のお幸せと、それぞれの方の天命を全うさせて下さい、という気持ちです。
土地の氏神様や、ご縁のあるすがすがしい神社へは、季節や、折々に、感謝のご挨拶に。
お墓参りは、お墓をきれいにし、お花を一杯にして、お線香をあげ、読経します。
次から次へと押し寄せる日常の雑事に忙殺されてしまう現実から、ひとときの「空」に身を置く時間ということでしょうか。
安らぎが得られ、身も心も開放されるせいか、思いがけないメッセージを受け取ったり、今後の方針が明瞭となったり、至福感に充たされます。
このように書いてきますと、ただ、先人が当たり前、として来られたことのようですね。
「北方ごと」と算命では言うのですが、親を初め、ご先祖さまのご供養、目上の方々を大切にする心、親孝行をすることは、天中殺の災いを避け、誰もが落ち込んでいくときに、むしろ順調な歩みを続けさせていただけるというお話を伺っています。
それで、天中殺を迎えられた○○さんに、当たり前のこととは承知しながらも、あえてお奨めしたというわけです。