観音さまとのご縁に感謝

2005年3月28日

Category : My Diary

グループホームの義父を訪ねた帰り、吉井川沿いの西大寺の観音院に立ち寄りました。
1600年代に建立された三重塔を始め、金堂、仁王門、石門など18世紀・19世紀の建物が健在でした。
今から1200年ほど前、藤原皆足姫の観音信仰から千手観音を安置したのが始まりだそうです。
真言宗、高野山別格総本山とありますから、真言宗のお寺なのですね。
そして何よりもここは日本三大奇祭の一つ「会陽」(裸祭り)で有名なんですね。
まず、金堂でお参りを・・・。
私にとっては懐かしい「延命十句観音経」が、参拝者のために用意されてました。
今も口から自然に出てくるお経なんですが、実は幼稚園時代、毎日、「延命十句観音経」を読経していました。
私の通っていた幼稚園は、「曹洞宗」のお寺の幼稚園でしたから、毎朝、園児は読経が日課だったのです。
その後、20代の頃、真言宗の修行を始めた頃、このお経と再会、「あのお経は延命十句観音経だったんだな」と初めて理解したんです。
そして、今日、再び、出逢いました。
観音様とのご縁に深く感謝する次第です。
それから、般若心経、延命十句観音経、ご真言をあげておりますと、なにやら夫は60代くらいの男性お二人と話しています。
裸祭りの由来について説明していただいているようです。
近くの公民館から派遣された学芸員の方のようでした。
以前は真木と呼ばれ、今では宝木(しんぎ)と呼ばれるご利益のある木のお札の争奪戦なんだそうです。
2月の第3土曜の深夜、有志の男性が多数集まり、金堂の御福窓から投げられる宝木を奪い合い、真っ先にゴールした者が、その年の福男となる行事なんだそうな。
最近の福男の傾向は、グループによる連携プレーであることや・・・。
金堂の天井に納められた狩野永朝作の絵馬 会陽の図 は、江戸時代の世俗や風習が垣間見えて楽しかったり・・・。
「あの建物だけは戦後、コンクリートで建て替えられたものだろう」と思って見ていた大きな門は、1800年代に石で作られたという石門だったり・・・。
思いがけず、郷土史の勉強をさせていただきました。
とってもいいお寺です。
義父のところに来たついでお参りする楽しみができました。

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