○○さんへ・・・

2009年5月27日

Category : My Diary

う~ん・・・よく分かります。
そもそも結婚制度ってものが、究極の愛の形って信じられてることに対して、私はほとんど無関心!に近いかな。
しきたりとは思っています。
誓いを立てたその日から、あなただけを大切にし、愛します、ってことで
自由を手放すってことですものね。
「自分にないもの」を充たして下さいという要求。
「私のイメージどおりの人」でいて下さいって期待。
私以外の人と、楽しいときを過ごすなんて以っての外、「いつも私とだけ行動を共にして!」ってまぁ、嫉妬というものは当然起こってきますよね。
浮気なんてルール違反じゃないの、って責めたくなるのも当然!
ルール違反のお相手が、謝って当然!、と、とことん追い詰めたくなるのも、よ~く分かります。
でもそれも、このしきたり上のルールではありますね。
だからって浮気してもいいというんじゃなく・・・
様々な条件や、縛りに、あるとき、疲れきってしまうこともあるんじゃないかと。
そこにばかりフォーカスしていくと、なんのために一緒にいるのか分からないほどのストレスにも。
でも、残された方は、傷つきますよね。
なんで被害者の私や子供達が、こんな淋しい思いをしてるのかと。
だから、
バトルに持ち込まないで、「今でも好きだから、一緒にいたいと思ってる。戻ってほしい。でも、してほしくないことを続けるというのなら、私にも次の恋を見つけるっていう選択もあります」
でも、すでに話し合うということが難しいのかも・・・ですね。
「あなたがあなたらしく、望むままに生きて欲しい」というのが、究極の愛じゃないかと思います。
そして、お互いが、経済的、家事的に自立すること、また、いつでも次の恋に出会えるように自分磨きを忘れずに、「いつでも離婚できる状況」を持つこと、かな。
執着を解いて、手放して・・・
無理をされず一歩ずつ自立の道を目指して下さい。
こうして相手を必要としないで輝きだすと、多くの場合、そういうあなたからは、むしろ離れようとはしないものです。
でも、
どうしても、
離れていくというときは・・・
それはそれで相手に、そうすべき課題があるってことで、
それが相手にとって、幸せの道とは限らないし、後悔の人生を送ることになるのかも、ですけど、
それは、○○さんが人生を開くチャンスかもしれないし、今度こそ、条件も期待もなく、無償の愛に出会えるのじゃないかなって思います。

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