「超電子バイオマン」の思い出

2004年10月16日

Category : My Diary

20代後半の頃、夫の転勤で茨城県新治郡桜村?(現つくば市)だったと思うのですが、3年ほど住んでいました。そのとき親しくしてもらってたKさんに久し振りに電話しました。
彼女とは、ですからもう20年のお付き合いですが、両家の長男同士が幼稚園で仲良くなったときからのご縁です。子供のお友達の母同士という以外にはピアノフレンドでもありました。
ときどき自主ゼミを開いていました。
3年目に生まれたばかりだったの我が家の3番目の息子など、彼女の家ではグランドピアノの下に寝かされて、ふたりの弾くピアノを無理やり子守唄にされている状態でした。
電話の後、彼女に当時、
「どうしてAquaMarineさんはこういうときに気が利かないの!」と言われてしまったことがあったことを思い出していました。
我が家があった宿舎の前につくばセンタービルという建物がありました。ある日、春休みだったか、長男と次男を連れてセンタービルの方へ散歩に行ったとき、ビルの中庭のようなところで子供番組の「超電子バイオマン」の撮影が行われていたのです。
それは後でその番組が放送になって分かったのですが、オープニングの主題歌と共に5人の戦士が高いところから「トー!」とか言って飛び降りるシーンを撮影していたのです。
それには二人の息子は大喜び!子供の多い地域でしたから、その場に居合わせた子供達はもうみんな大騒ぎ。
今も続いているのかしらね、男の子の好きな「○○マン」シリーズの3・4弾目でしたか?
センタービルのノバホールという建物が斬新なデザインでそれをバックにして飛び降りるというシーンだったのです。
丁度お昼でマクドナルドに入って3人でハンバーガーを食べていると次々にバイオマンがマックの中にはいって来るではありませんか。またまた2人は大喜び、だって正義の味方と一緒にお食事できちゃうんですから。
と、みなさんハンバーガーを食べるときに被っていた仮面というかヘルメットも外されたのです。当然と言えば当然ですが。
スタントの役者さんがぶ厚いマットを地面に置いて、実際に飛び降りる演技の後でこうして役者を離れたお姿で現れたときは少し衝撃だったようです。でもこうして、お父さんみたいなおじさん達が大変な思いをして演じてくれていることも分かったのでしょう。その後、放送された「超電子バイオマン」は桜村の子供達の間でも大人気でした。
こんな話を後日Kさんにしたら「どうして私達を呼んでくれなかったのか」と、そういうわけです。携帯電話もまだない時代でしたしw」w」w」ごめんなさい。
穏やかだった日々はこのつくば時代までで、その後我々夫婦は激動の人生を歩んできました。
ですからなおさら、この時代を懐かしく思い出します。

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