グループホームの義父を訪ねた帰り、吉井川沿いの西大寺の観音院に立ち寄りました。
1600年代に建立された三重塔を始め、金堂、仁王門、石門など18世紀・19世紀の建物が健在でした。
今から1200年ほど前、藤原皆足姫の観音信仰から千手観音を安置したのが始まりだそうです。
真言宗、高野山別格総本山とありますから、真言宗のお寺なのですね。
そして何よりもここは日本三大奇祭の一つ「会陽」(裸祭り)で有名なんですね。
まず、金堂でお参りを・・・。
私にとっては懐かしい「延命十句観音経」が、参拝者のために用意されてました。
今も口から自然に出てくるお経なんですが、実は幼稚園時代、毎日、「延命十句観音経」を読経していました。
私の通っていた幼稚園は、「曹洞宗」のお寺の幼稚園でしたから、毎朝、園児は読経が日課だったのです。
その後、20代の頃、真言宗の修行を始めた頃、このお経と再会、「あのお経は延命十句観音経だったんだな」と初めて理解したんです。
そして、今日、再び、出逢いました。
観音様とのご縁に深く感謝する次第です。
それから、般若心経、延命十句観音経、ご真言をあげておりますと、なにやら夫は60代くらいの男性お二人と話しています。
裸祭りの由来について説明していただいているようです。
近くの公民館から派遣された学芸員の方のようでした。
以前は真木と呼ばれ、今では宝木(しんぎ)と呼ばれるご利益のある木のお札の争奪戦なんだそうです。
2月の第3土曜の深夜、有志の男性が多数集まり、金堂の御福窓から投げられる宝木を奪い合い、真っ先にゴールした者が、その年の福男となる行事なんだそうな。
最近の福男の傾向は、グループによる連携プレーであることや・・・。
金堂の天井に納められた狩野永朝作の絵馬 会陽の図 は、江戸時代の世俗や風習が垣間見えて楽しかったり・・・。
「あの建物だけは戦後、コンクリートで建て替えられたものだろう」と思って見ていた大きな門は、1800年代に石で作られたという石門だったり・・・。
思いがけず、郷土史の勉強をさせていただきました。
とってもいいお寺です。
義父のところに来たついでお参りする楽しみができました。
高知産「文旦」には感激でした。
宝石のような艶があって、実に爽やか。
春らしい「淡い黄色」がきれいです。
甘すぎず、苦味はなく、淡白だけど上品な味わいですね。
文旦も初めてではないのですが、やはり産地が近いとこれだけ新鮮なんですね。
娘もよほど気に入ったらしく、画像アップ用の写真を撮って、お代わりしてました。
先日、もう1色、淡い色の食べ物に出逢いました。
古代米、「朝紫」という黒っぽいお米です。
福島のTさんがお野菜と一緒に送って下さいました。
これは一体?どうやって?食べるんだろうか?
小さなメモが入ってました。
お米を研ぐときに、お米1合に対して、小匙1杯の「朝紫」を入れます。
あとは普通に炊くだけです。
古代米はお赤飯の小豆のように黒っぽいままで、ご飯はお赤飯のような色になります。
パッと見は、まさにお赤飯。
でもよく見ると、「淡い紫」なんですね。
それが桜の花びらを濃くしたようで、おしゃれなんです。
今の季節にはホント、春の花ばなの花びらのようで、浮き浮きしてきます。
不思議にご飯にもち米を入れたような粘りが出ます。
おいしいですよ!
その日はご飯が足りなくなってしまいました。
ミネラル類もタップリで健康食品のようです。
先日そういえば、どなたか「古代米」楽天日記に取り上げておられました。
Tさん、ご馳走様でした。
ご健康や食に対して、深く思いを込めていらっしゃることにはいつも頭が下がります。
ありがとうございます。
鑑定士が自分の星をどのくらい理解しているか、というと疑問かもしれません。
紺屋の白袴であり、医者の不養生であり、自分のこととなるとよく判らない、という時代も長かったのですが・・・。
10年ほど前、算命学の世界で信奉している鑑定士の方にお目にかかり、ほんのわずかな時間でしたが、自分の星を看ていただいたことがあります。
「あなたは孤独運!」
と、ひとこと。
(ホントに)?
って、言っても、私には子供が4人ですし・・・。
その当時私は算命学の学校に通ってましたが、子供達や自分の学費を稼ぐためにアルバイトにも明け暮れてました。
家に帰れば、でかい中華鍋にスコップのようにしゃもじを使いながら大量の食事の準備、中高生、大学生という息子達もめちゃくちゃ難しい年頃で、日々が戦争だったと記憶します。
夫は単身で関西にいましたし、意見のぶつかることも、それでもこれが私のお役目、人よりもたくさんの子供を育てるって確かに星にも出てるし、この状態こそが私の人生!守護神なんだ!と信じていました。
さっき鑑定の合間に久し振りに自分の星を出して眺めてて、改めてあのとき孤独運と言われたことに納得でした。
今でしたら客観的にこの星をみて、そのように私も判断すると思います。
家族であれ、どんなに身近な人であれ、取り囲まれると自分らしくなれない、暑苦しくて、気を遣ってばかりで、ついには弱ってしまいます。
そんな自分をわがままなヤツと責めていた頃もあるのだけど、今は違います。あまり無理はしません。
それが自然、一番私らしくあれる状態なんだと思います。
実は大勢や集団の中でも張り切ってしまう方なんですけどね。
ひとりでいることで本来の自分を取り戻せる、完全燃焼できる私は、やはり孤独運ですね。
あれ以来、守護神の取り方は一歩前進したように思います。
午後からいつ晴れたのか、分からなかったのですが、西日が窓から明るく照らしているので、気が付きました。
今日はある鑑定の守護神取りに没頭していて、ようやく納得が行きました。
守護神の取り方は、かなり得意とするところなんですが、実に判りやすい場合とときには判断に苦しむときもあります。
一瞬にしては掴めない難解さもあって、算命学にのめりこむことを憚られる要因となっていますし、ギブアップになってしもうことにも・・・。
つまり、守護神が「分からない」というままでは、鑑定は鑑定ではなくなってしまうからです。
算命学を学ぶ者は、必ずこの壁にぶつかります。
私も10年くらいさっぱりの時期がありました。
これはもう、勉強や書物からだけでは限界があって、実占を積んで、お話を伺いながら体得していくしかない、ということも徐々に分かってきたのです。
そして一旦苦しんで体得したものは、決して忘れないですし、他の鑑定の応用に活かされていきます。
日々が修行、勉強も一緒にさせていただいています。
感謝致しております。
昨日は大阪まで義父を迎えに行ってきました。
お天気もよくぽかぽかで、高速を走行中もつい私も居眠りしそうになります。
で、義父の様子を見ますと、目はしっかりと開いておられます。
トンネルが続きますが、高速道路のトンネルに感激の模様でした。
「凄いもんやな・・・」
広くて明るい高速道路のトンネルにびっくりされたのですね。
このような高速道路は初めてでいらしたようで、思いがけずいい刺戟になっておられたようです。
いかなるときも心を動かすという場面を作っていくことは大切なんですね。
認知症も進んでいますが、やはり刺戟もなく座っているだけの生活はせっかく残された機能まで衰えさせてしまいそうです。
当地のグループホームにお世話になりますが、後楽園などいろんなところにお連れできる楽しみもできました。
いろんなお話しも一杯できそうです。
こちらの言うことは、よくよく説明しましたらなんとか理解されてるようですし。
食べ物も美味しくて、空気のきれいな田舎で散歩などして少しでもお元気になっていかれるように、と思います。
メール鑑定をさせていただいていて感じることがあります。
何か必要に応じてある言葉や算命学の用語を検索され、五万とある鑑定士のサイトからふと、私のサイトをクリックしてくださって訪問していただくのですが・・・。
その「ふと」には言い尽くせない何かがあるのだと思います。何となくなんでしょうが・・・。
実際にメールでお話しする機会に至る方の星は当然算出しますが、ご縁の深い方も実に多いです。
宿命の共通干支であったり、守護神であったり、深い部分を理解し合える相性であったり・・・。
確かに、この大運にお互いに出逢うことになっている、ということが分かったりするのです。
「どうしてあなたをクリックしたのか分からないんだよね。上の人でもない、下の人でもない、不思議だ。これはご縁だよね」
と、大分後になってから、お電話でそのようにおっしゃって下さる方もいらっしゃいました。
訪れてくださった方は、干支などは関係なく、ただ私との縁に、不思議を感じて下さっているようです。私も不思議です。
お顔が見えないのだし、口コミということも少ないでしょう、ただ、ブログを読まれたりやサイトのイメージで訪れてくださるのですね。
でも、共通点の少ない方とは解かり合えない、ということでは決してありません。
むしろそのケースこそ、一点に集中させていきますから、深いものを感じ取らせていただいています。
でも・・・
それにしても・・・
ご縁とは不思議なもの・・・。
干支に存在する神の意志は確かに感じ取れます。
昨日から一転、雨日和でした。
ちょっと肌寒かったですが、窓を開けると、ほんのりと沈丁花の香りです。
鑑定とお返事メールの合間に、先日楽天ブックスで初めて買った「38万円で本ができた」を読み上げました。
昨年の出版の経緯を思い出していました。
こもごもの思いです。
企画は出版社に持ち込むものであることも、商業出版にも種類があって、なにがどうで、だからこうで、なんて、その頃の私は何も知りませんでした。
この本を読んで、出版ズブの素人の私にとって、ありがたいと言うほかない経緯だった、ということを再認識していました。
それにしても、それでも、常に付きまとっていた出版への不安・・・あれは何だったんだろう?と思ってきました。
その正体も突き止めることができました。
この本をぜひ読んでみたかったのは、あのとき抱いた不安をなんとか解消できる方法はなかったのか、糸口を見つけたかったからです。
付箋だらけにして、もう一度その箇所は読み直しました。
こんな風に、必要とする人に付箋だらけにして読まれる、という本のスタンスにこそヒントがありそうです。
本を出してみて、「売れてナンボ」の世界であることを知り(当たり前ですね)、それじゃあ読者に媚びることも必要、読者様様なんだ、ということも学んだのですが、それだけでもなんだかな・・・という思いでした。
出版の裏事情にも少し明るくなって・・・この件に出会いました。
「読者にただ迎合するのではなく、読者ニーズに応えながらも自らのメッセージを伝えようとする努力が不可欠なような気がするのですが」
そうでありたいと思います。
午後、西大寺に行って来ました。
赤穂線を待つ間、リュック姿の年配の女性が、ご挨拶してくださってベンチのお隣に。
リュックは、年配の女性の遠出にはふさわしいですね。
両手が空きますから、便利だし安全です。
茶色のフランネルの帽子には可愛い薄茶の花があしらわれています。
なかなかおしゃれです。
「いくつやと思う?当たったら、一杯おごらなあかんな」
一杯ですか、いける口ですね・・・フフフ、楽しいおばあちゃまでした。
72歳くらい?
いやいや、84歳!
ホントに!ビックリでした。
一人暮らし、子供さん方は東京に二人、県内に一人だそうです。
「出て行ってもいいよって言ったら、一人になってしもて・・・」
「お子さん方自由にしてあげたから、今、お元気でいらっしゃれるんだと思いますよ」
全部、自分でやっておられるのだそうですし、生き生きしてらっしゃいました。
今日は今から、お友達と兵庫県まで2泊で温泉旅行。
わぁ~いいな、私もこんな風に年を取りたいです、はい。
赤穂線はなんとものどかな電車です。
電車を降りて、駅から一路南へ、吉井川にぶつかるところまで約1キロです。
河口も近くほんのりと潮風が香ってくるようです。
今日は穏やかで、川風はなんとも心地よくで温かでした。
ふっと堤防に沿った車道に上がると、吉井川下流の眺望が開けます。
海も間近で、陽光に溢れています。
義父は日干は「辛金」で暑い季節の生まれです。
大河、海「壬水」に抱かれて住まうのは守護神だな・・・を実感です。
義父のお世話になるグループホームで契約の手続きのことや、介護についてのお話を伺いました。
大河と陽光と少し鄙びたおっとりした風景には、私まで気持ちが晴れやかになりました。
義父を迎えにいくの、楽しみです。
電車を待つ間、『「私は結果」原因の世界への旅』読んでました。
面白いです。
当地の介護事情は、大都会に比べるとゆったりしています。
東京の事情を聞けば、費用の点でも大変そうですし、待ち人数も多いのでしょう。
以前住んでいた関西のある都市で、お手伝いしていたデイサービスの2階にありましたグループホームも一時金は相当に高額だったと記憶しています。
地域により、事情は様々ですね。
当地は土地も広々していますから、開放感のある造りの建物が多いです。
肝心の介護への取り組みも熱心ですし、それもまた、ホーム長の考え方なども様々で、利用者は自分の希望と少しでも近い方針の場所も選んでいくことができます。
それでも、義父の引き取りが近づくにつれ、なにも施設にお願いしなくても、自宅で、私でも背負っていけるなんじゃないか、と迷ったりもしています。
ただ、認知症が大分進んでいるので夜中の徘徊があって、不眠症気味の私には長期の自宅介護は今のところは自信が持てないので、取り敢えずはお世話になることにしました。
様子を見ながら、少しでも今より元気になっていただけますよう、心を込めて、淡々と果たしていくことで、今後のことは考えていきたいと思います。
お彼岸の頃、迎えに行きます。
明日はいいお天気になるようですね。
やっと春らしい暖かさがやってくるようです。
明日は、西大寺まで行ってきます。
堤コクド前会長は辰巳天中殺で生月天中殺という宿命天中殺を所有です。
本来、辰巳天中殺は家系にご縁は薄いのです。
家系からは離れて、独立、一代でゼロから築いていく運命です。
そんな辰巳天中殺は家系には縛られない方が、伸びはよいのです。
またご自分の子孫に築いたものを流していくことも、摂理に反しています。
つまり、一代運。
過酷な運気といえばそうなんですが、実は逞しい超現実主義者で、実行力があります。
実践の伴わない人物は全く評価しません。
勿論、ご自分も実践あるのみ、という人生観。
それがですね・・・宿命天中殺と二重構造になりますと、家系にご縁ができてきます。
本人は家系を離れた生き方をしたいにもかかわらず、家系に引っ張られますし、家系での責任が生まれてきます。
前会長の場合はこの形です。
意に染まないのだけれど、家系における責任を果たし、果たし終えてからやっと独立、家系を離れてやっと独立路線を歩む、という複雑な運命をたどります。
前会長はずっと以前からお子様に継承の意図はなかったそうですね。
これは、とても自然なことだったと思います。
ご自分は、この宿命天中殺と辰巳天中殺の二重構造を、継承者として責任を果たし、このような結果になりましたけれど、家系への執着や悔いはなく、全責任を被り償っていかれるのでしょう。
様々な不幸を招いてしまったことへの悔いは大きいのでしょうが・・・。
今後は、本来の一代運、辰巳天中殺を生きていかれるんじゃないかと思います。
7年前の大運天中殺終了時に、静かに落下させていられたら・・・。
東京地裁は、新株予約権の発行を仮に差し止める仮処分決定をしました。
堀江氏はこれで、長期戦に持ち込むことができそうです。
「発行は現経営陣の支配権を維持することを主な目的とするもので著しく不公平」という判断。
なるほど、です。
先日、朝のニュース番組で団塊世代に支持される堀江さんのことをやってました。
見城美枝子さんや山本コータローさんがお話されてましたけど、興味深かったです。
ナンセンス!と叫んでいた団塊世代の20代の頃、その戦後のベビーブーマー達の生き様には厳しいものがありました。
私なんぞは、その後の高度成長期時代に育った従順世代ですが、一世代前は常に競走の人生だったのですね。
夫とか私の二人の兄は団塊世代ですが、猛烈な人生の歩みだったな、と傍観者としても実感しています。
若くてお金もなかったけれど、集団で権力に立ち向かっていた方々なんですね。
が、結局、体制を覆すことはできなかった、その後はサラリーマンとしてひたすら家族のために若い頃の夢もあきらめ、歩んで来られた方も多いわけです。
そしていつも付いて回るのは、競走、椅子取りゲーム。そしてリストラ世代へと。
今朝、聞いた話では、団塊世代は80%がパソコンができるのだそうです。
80%とは凄いです。
今では中学生でも大人顔負けですが、あの世代の方々がすんなり受け入れるのは相当に困難なんじゃないでしょうか。
やはり競走に慣れてますから、何でも直ぐに身に着けないと取り残されるという危惧を抱かれるでしょうし、確かに進取の気性に富まれた方も多いです。
そんな団塊世代の方々に堀江さんが受けるのは、権力に立ち向かい覆していこうとする姿が、ダブルからなのでしょうが、自分達にはできなかった夢を小気味よく果たそうとしている若者を応援したくなるのも頷けます。
ご自分達の若い頃と違う点は、彼は単独であること、そしてお金を持っている、という点。
そして、特別に権力に歯向かう気持ちで動いているのでもない、新しいタイプでもある点。
既成の価値観や守られてきた権威なんて、別にどうってことなく、年齢も関係なく、やろうとする者が打って出られる世の中になったんだな・・・って私なんかは思います。
昨日、介護施設の見学に西大寺まで行ってきました。
このところ介護施設の見学が続いていますが、義父をこちらで介護することにしたいと思っています。
西大寺は市内といっても我が家からは相当に離れていますが、とても穏やかで温かい雰囲気のグループホームでしたからこちらにお世話になろうかと思います。
帰り、送っていただく車の中から、すぐに吉井川が見えました。
満々とした水量を湛えた雄大な大河です。
今後のダム建設でどうなるかわかりませんが、今のところ水も澄んでいて、生き物の生態系の守られている貴重な流れです。
東京が長かった私には、地方のゆったりとした川の流れには本当に心が和みます。
城下町津山から西大寺までかつては高瀬船の往来も盛んだったのですね。
備前福岡の刀剣は、美作地方の砂鉄を吉井川を使って運んで作られていたということも知りました。
街を散策すれば、歴史の面影があちらこちらにあるようで、ここを訪れる楽しみもできました。
都会では散歩もままならない義父にも、この地は癒しになるのでは、と思います。
そのホームにいらっしゃるお年寄は、みんな戸外のお散歩が大好きらしいですから。
季節の行事に、義父を楽しませて上げられるように、私もせっせとこの街に通ってこようと思います。
今日は暖かです。
一度に春が来たようです。
時々刻々、私の身辺にも変化が起きてきます。
あたふたせずに、起こり得る全てを静かに受け止め、「今」を「快」として楽しんでいくことに致します。
明日はこうであらねば、いつかこうなっていよう、こうなったらどうしよう、なんてことからは解き放たれていようと思います。
人生はすでに星図に描かれているのだし、今を「快」として生きていくことが、必然の結果と出逢いに導びかれるものなんだと・・・思います。
愛情の星シリーズ、残りは水性から生まれる禄存星のみとなりました。
今日は「壬水」から生まれる愛の星です。
生日干が「戊土」の方の場合、宿命の他の場所に「壬水」がありますとこの禄存星が生まれてきます。
壬水は「海、海流」です。
流動の形をした愛情の姿です。
スマトラ島沖地震の津波のように、あるときにはあんな勢いと、強力な流動で呑み込んでしまう、「激しい愛」に変身することもあるんですね。
テレビの映像で見たあの巨大津波は特殊な姿としても、海流、海は「大きく動いていって呑み込んでいく」という愛情になります。
これは、「与える愛」の穏やかさとは違って、「強く求めていく愛」です。
目標に向けて、好きになった人に向けて、範囲を決めて傾け、求めていく愛情表現になります。
そして、また次へと流動していくのですから、愛を傾ける対象も変化していきます。
広義には、世の中全体へ動きながら豊かな愛情を発信していく姿とも言えます。
スケールも大きそうです。
ユジン役をしたチェ・ジウさんは、この禄存生をお腹にお持ちでした。
求める愛、ひたむきな愛、を演じるには、最適の女優さんのようですし、ジウちゃん自身にも確かにそんな雰囲気が感じられますね。
ここ数日、3種類の介護施設を見学に行ってきました。
で、それぞれの施設の責任者の方の詳細な運営方針やポリシーを伺ってきました。
このような福祉施設はとても充実してきていることを実感です。
地域によっても事情は違うのでしょうが、利用者の介護の必要性の段階に応じてきめ細かいサービスが展開されているのですね。
認知症であっても、その度合いに応じた軽作業や手仕事、音楽療法、体操など、生活にリズムが生まれ、刺戟を受けていくことで、快復に向かったり、進行を押さえていくことができるようです。
以前、デイサービスでお手伝いさせていただいていましたとき、歩けない状態で参加されるようになった女性が、数週間で自力で歩行できるようになったことがありました。
その方を観察していて感じたことは、ご自分と同じ年頃の他の参加者との比較から「しっかりせねば」と奮起されたことがきっかけだったようです。
脳梗塞で半身が不自由になられた方でも、手助けをはっきりと断られる方もいらっしゃいました。
自立のために、ご自分に厳しくされているのです。
その姿はまた、他の参加者の方の励みになっているようでした。
高齢者がこのような社会性のある場所に積極的に参加していくって、大切ですね。
できるかぎり健康を維持し、自立していくこと、それを支え援助していくのが老人福祉の原点でしょう。
介護報酬不正受給など今朝の新聞に出ていましたが、老齢人口の増加と共に施設は乱立、サービスも追いつかない状況になりつつあるところもあるようです。
やはり、足を運び、施設の運営に当たる方からよくお話を聞き、こちらからもよくお話をさせていただき、お互いに信頼関係を結ぶことが大切ですね。
そして、高齢者の方が何よりも幸せであるように、家庭と施設の両輪で支えていくべきなんだと思います。
堤コクド前会長が証券取引法違反で逮捕です。
昨日からの報道で、いかに西武グループが堤家独裁王国であったのかを再認識でした。
前会長自身、康次郎氏の遺した家憲に忠実に生きようとした結果とも思えます。
後継者として厳しく躾けられたといいますから、反旗を翻さない素直さがあったということも言えるでしょう。
前会長の星は、やはり見つめてみないではいられません。
占星学の研究では、以前から非常に関心のある型がありました。
日本人には少ないということで、中近東、ユダヤや華僑などの流浪の民の集団や御曹司に多く見られるものですが、実例とまだ巡り会っていません。。
前会長はほぼその型に近いのですが、1つだけ条件を充たしきっていないようでした。
準ずる形のようです。全うできないということでしょうか・・・?
それは、集団を率いるトップに立つことにより、他人の運を破壊しながら発展、その間は自己の集団、家族は上昇を続けるというものです。想像もつかない財運と共に・・・。
40年間の大運天中殺は7年ほど前に終了しています。
引き際のタイミングということもあるでしょう。
留まることを知らない拡大ということからの空中分解だったのでしょう。
また、「家憲」に縛られたがために、自然に備わった神の摂理に反した生き方を突っ走るしかなかったということが、こんな結果を招いたとしか思えません。
愛情の星もいろいろな形を持っているもんですね。
ご自分は動かずに、そっと相手に見えないところでささやかな気遣いをしていく、というのもありましたし・・・。
灯火の揺らぎから生まれるロマンティックでちょっぴり色っぽい愛の形もありました。
裏もなく策もない、純粋でホット、激しさを持った愛情というのもありました。
個性となって「愛」がいろんな形で表現されるのですから、人間ってやっぱり辞められません。
素敵です。
その方の「禄存星」だけをじっと見つめて味わうだけでも、ワクワクしてきます。
今日は、ちょっと複雑な愛情の形を考えてみます。
「辛金」から生まれる愛の星です。
生日干が「丁火」の方の場合、宿命の他の場所に「辛金」がありますと生まれてきます。
「辛金」は宝石や、輝石、柔らかくて尖った形をしています。
そこには、特別意識や品性、プライドのようなものが感じ取れる世界です。
そんな「辛金」が剋されて生まれてくる「禄存星」ですから、ちょっと奉仕という感情とは矛盾しますね。
禄存星は引力エネルギーでした。
相手を惹き付けるために、愛情や奉仕を放出していく本能です。
そこには己を省みず奉仕するという感情も混じってきます。
とは言っても、引力本能なんですが・・・。
しかしプライドが剋されて生まれる愛情とは、優越感を得たいがために愛情を注ぐ、奉仕する、という姿になります。
または、奉仕や愛を注ぐことで結果、自分は特別だという意識が生まれてくるのかも知れません。
そんなプライドに支えられた愛情奉仕、ちょっと複雑ですが、そのように愛を放出することで気品が磨かれ、ご自分の精神性も高まっていきます。
そんな美意識のある、ちょっとカッコいい禄存星です。
愛情の星シリーズ。
今日は庚金から生まれる禄存星です。
日干が「丙火」の方の場合、宿命図の他の場所に「庚金」がありますとこの禄存星が生まれてきます。
庚金は、そうです、武器でしたね。
鉄鉱石であり、刀であり、固くて鋭い金属の形を現しています。
このような形をした愛情や奉仕は、どんなものか想像してみてください。
一方的な激しさを持った愛になります。
相手がどうであれ、あくまでも自分から愛を迫るって場合もあるでしょう。
押し付けになることもあります。また、相手に解からせなければ満足感が生まれないかもしれません。
強引さを持った愛情奉仕の姿です。
しかし、その激しさは逆に、とってもホットな表現として現れることがあります。
裏はなく、とっても純粋、ホットな愛情で一途に迫って来られる、というのも情熱的ですね。
でも受け入れられなかったときは、はっきりと態度で出ます。
車騎星などを伴っていますと、攻撃的な激しい愛情となります。
でも誤解されませんように・・・。
その方がそういう方だというのではなく、その方の愛情がそんな形をしていると認識していただくためのものですから。
十大主星だけを見ても、「禄存星」フムフム、愛情のある優しい奉仕的な方なんだな、ということは分かります。
でも、ひとことに愛情と言っても、表現法や形は違います。
人間関係やある方の出方や本質を認識したいときに、使っていくことができるんです。
昨夜の「月曜エンタぁ!」ですが、一夜明けても印象に残っているのが、チェスキーナ洋子さんのシンデレラ人生です。
チェスキーナ洋子さんというお名前はちょっと記憶が正確かどうか分かりませんが・・・。
ぜひ生年月日が知りたかったのですが、検索では見つけられず・・・でした。
裕福な家庭にお生まれになり、少女期に母親が突然家出、その2年後に父親が亡くなられるという波乱の人生の幕開け。
その後は親戚の家を転々とし、小学生時代も女中扱いで育ったそうです。
その後、芸大のハープ科に進まれ、イタリアに公費留学、イタリアでの苦学生時代にチェスキーナ家の御曹司に見初められ、ご結婚、といっても入籍は大分後になってからだったそうですが。
ご主人は既に亡くなられ、現在はベネティアのお城にひとりでお住まい。
750億という遺産は、レストランやベネティアングラスのお店の経営や、文化財、文化施設などへの寄付、中越地震やスマトラ島沖地震の津波被害に寄付、という人生を送られている女性です。
インタビューで語られた洋子さんの人生では3つのことが強く印象に残りました。
まず「ピアノ科は無理でも、パープ科だったらその当時は人数も少なくピアノで受験できましたから。
どうしても芸大に行きたかったので・・・」
なるほど・・・。
その後、公費留学の資格を得られたということは、このハープの分野では一流になられていた、ということですね。
まずハープへの変更、この機転には学ぶものがあります。
そして芸大に入る学費を積むために2年間音楽の代用教員をされ、入学後も8年かかって働きながら卒業されたということですから、根性が違います。
イタリアでは猫がご縁でご主人と偶然の出逢いをします。
あのとき出逢った東洋の女性を探すために、ベネティア中を探させたといいますから。
その偶然・・・運命でしょうが、それは彼女自身が、ご自分の人生をご自分で切り拓こうという強い意志で生きて来られたからこそ招き得た僥倖という印象でした。
現在は、亡くなられたご主人を深く敬愛し、感謝されながら、爽やかに社会奉仕に余生を送らています。質素な生活、私欲もなく、無駄もなく、実に美しい老婦人でいらっしゃいます。
あの気高さはやはり日本のシンデレラ・・・。
自伝を出されているようですから、ぜひ読んでみたいです。