インドの哲学者 ディーパック チョプラ氏著
「バーバの教え」
スピリチュアルな教えをティーン向けに書かれたものです。
訳者「あとがき」より
チョプラ氏は代替医療の先駆的人物で、たましいやスピリチュアリティーと心身のつながりについて、おびただしい数の著書を書いておられます。
その大多数は、それぞれの分野における広く深い知識を駆使したどちらかと言うと、より学究肌の内容のスタイルとなっています。
そんな中で本書は、バーバという人物と15歳の少年の会話よって展開するストーリーという、チョプラ氏にとっては稀な形式をとり、しかも対象読者をティーンとした、チョプラ氏にとってたいへんめずらしい著作のひとつです。
スピリチュアリティーへの導入で、簡単な寓話を通してスピリチュアリティーとは何かということを少しずつ学べるように配慮されています。
ティーン向けとは言え、決して内容は幼くなく、スピリチュアリティーについて知りたいという人なら、年齢を問わず得るものがあるのではないでしょうか。
最初に読んだときは充足感があって、思いがけず、期待以上のもの感じ取れたと言う印象。
でも、
何故か、数回読んでも、この本の内容を人に説明することがどうしてもできない、というもどかしさが残ったのですが、
ある日、日常生活に直面した、とっさに判断すべきある問題に、迷うことなく、内面から答えが湧き上がるということがあって、
これは、まさにこの本から、いつの間にか潜在意識に刷り込まれた意識に違いなく・・・
「インドの古代から教えでは、実際に心臓のあたりにたましいの光があると言われています。
この光が本書で語られてる神の大いなるたましいであり、その一部である個人のたましい・・・なのです。」
この光を、しっかり自覚しようとして、何回も読み返すことになったようです。
ご興味にない方には、面白くもないお話かもしれませんが、私には貴重な一冊でした。
昨夜は一晩中、豪雨でしたが、当地ではめずらしいこと・・・。
ときどき、あまりの雨脚の強さに目が覚めましたが、乾ききった大地に染み込んでくるようで、
目を閉じ、耳をそばだて聴いていたのですが・・・癒されました。
算命と最初の出会いをしたのは、西川満先生ですが、
今朝、師をよくご存じという方からメールをいただきました。
「西川先生の厳しくも暖かい眼差しは今でも忘れません」
私もまったく同感です。
西川先生は、著名な文学者でいらして、エキゾティックな台湾を舞台とした詩文の薫り高さには、とても惹かれるものがありました。
その後、手を痛められ、長編をお書きになることができなくなったため、昔、台湾在住時代に現地の算命師から学ばれた算命の算定所を開かれました。
新婚ホヤホヤの頃、夫と鑑定を受けに出かけたのですが・・・。
夫の方の内容は覚えていませんが、自分の鑑定内容はかなり覚えています。
というか、このとき受けたいくつかのアドバイスは、その後、30年間の人生に無意識に生かしてきたようで、だからこそ記憶がはっきりしているのかもしれません。
「○○はありますから、百歩譲って相性はよいとしましょう」
という表現でしたから、さして相性はよくないんだな・・・と受け止めました。
結婚にふさわしい時期は翌年だったこと、かなり深刻に語られたこと、そのまま覚えています。
じゃあ、どうすればよいのか、21歳の私はじっと耳を傾けました。
「気持ちをご主人に向けることより、ご自分の世界をお持ちなさい。
帰りが遅いとイライラするより、お華の枝を矯めている方がいい、芸術でも何でも、趣味に生きた方がよろしい、あなたは師匠という立場になれる人、好きな道でいいです。
これでなれなかったとしたら、よほどの「怠け者」です!」
と、にっこり微笑まれました。
単刀直入に「怠け者です」と言われるより、どれだけ、若かった私の胸に響いたひとことだったでしょう。
明日に続きます。
「算命」という言葉を最初に日本に紹介されたのは西川先生ということを、故高尾先生もおっしゃってます。
○尾学館の先生方も西川先生をご存知の方はいらっしゃらないということをお聴きしたことがあり、当初から学館でも、師は伝説の人物となっておられるようでした。
「○○さんは、西川先生を存じなのですか!」
というわけで、レア!という目で見られたものです。
そもそも、西川先生を知ったのは、結婚して上京した折、夫が神田の○書房で、西川先生の著作「人間の星」と出会ったのがきっかけです。
勿論、すでに手に入れられるものではありませんが、文学的に名著です。
今回、もう一度丁寧に読み直してみようと思っています。
それに感銘を受け、鑑定というよりも先生にお目にかかり、夫は、算命というか大陸の占星学のお話を伺いたかったのでしょう。
それで二人で出向いたというわけです。
続きます。
弟子入りを申し出た夫に、これから一家を構え、すでに志した仕事を持つこの青年にこの道はふさわしくない、と思われたのか、先生は、
「むしろ、あなたの方が・・・」と、
私に向かって、「話を聴きにいらっしゃい」と勧めて下さったのでした。
でも当時、私は、算命やら占星学などにはまったく関心がなく、先生の詩や小説のお話ならぜひ伺いたいという思いはあって・・・でも、
結局、それっきりにしてしまったのです。
なんとも残念なことです。
そんなこんなで、日常に戻り・・・
さて、鑑定でアドバイスされた「自分の世界を持つって・・・」と、考えてみました。
すでに自分の世界はいろいろあって、大切にしていました。
なかでも詩作は大切なアイテムだったのですが・・・
結婚と同時に、詩が書けなくなってしまうという事態が・・・
詩作というものは、あらためて、私にとっては、恋心が基調だったということを思い知らされ・・・
21歳で足を洗ってしまったということには愕然!でしたけど・・・
出かけてました。
私用というよりは、仕事の関係ですが、
趣味や易学関連のお仲間という3人の女性と小一時間ほど、お話させていただきました。
楽しいひとときでした。
当地で、お商売に的を絞ったお話をさせていただく機会も、ときどきあるのですが・・・
今日もまた、独特の県民性について、以前にも伺った、ある共通のお話を伺うことに。
武家社会の名残りが感じられたり、いい意味で保守的、堅実、という印象はありますが、
そうなんかな・・・という思い(私はあまり実感しませんので)と、ここまで共通したお話に接しますと、少々身構えてしまうというか、
土地の方も、自覚されておっしゃるのですから・・・
そして、それは、私のような「よそ者」にされるお話とばかり思っていたのですが、そうではなく、
地元のお商売、事業所、企業の方が、お互いに実感されていることらしい、ということも分かってきました。
とにかく、お商売の難しいところ、ということです。
以前からよく存じ上げている方ですが、
その方の個人サイトを見つけて、昨日から、熟読しているのですが、ちょっとやめられません。
ブログでは、ある伏せられている大陸の「ツール」を紹介、宣伝(と言っても、表面的にはそう感じさせられませんが)しているには違いないのですが、
当然、そこにはこちらが「知りたい」と思わせるエキスがちりばめられているわけです。
つまり「チラっと」という状態ですね。
勿論、私が惹かれて止まないのですから、「この」世界のものですが・・・
そのエキスから、おぼろげながら汲み取れてくる術というかツールはどういうものかを、あれこれ干支を並べながら洞察するのはなかなか楽しいものです。
でも、これほど魅力的な宣伝文はないってことですね(笑)
そこで、このツールとは関係ないのですが、感じたことをちょっと紹介してみます。
相性を占う、ということ、私もよくお受けいたします。
でも、結婚するかしないかは、相性がいい、悪いでは選べないのではないか、ということです。
相性を占うことで、よく選択肢が広がったように思われることも多いのでしょうが、やはり、結婚する相手(これは一人とも限らず、時期もひとつとは限らない)というのは決まっている、ということが語られていて、私もそう思います。
また、
運のいい人と付き合いなさい、という話をよく聴きますね。
運のいい人のパワーをいただくと言う考え方なんでしょうけど、これもどうでしょう。
そんな下心って通用するはずないって思います。
ある人がある人に出会う、それもまた決まっていることで・・・
ある人の命式に、人生のこの時期にこういう現象が起き、丁度、その時期にこういう人に出会い、相乗作用が起こり、さらに発展する、などの現象が起きる、ということもシナリオどおりなんだということ。
まったく逆に、負の現象になることもあるのでしょうけど・・・
そういう出会いもまた「縁」ですね。
たとえば、運のいい人と思われる人に意図的に近づいても、その方にとっては、よい作用どころかむしろよくない作用となる場合もあるでしょう。
意図的に何かを起こそうとしても何も起きず、念じて生きていたら、まったく下心も、意識もないところに真実の縁が潜んでいる・・・と、よく感じます。
その方のシナリオに必要な出会いは、必要なときに起きるってことでしょう。
また、それは相手の方にとっても機の熟した、必要な出会いであること・・・
そういうお話も出てきました。
朝から「○薯の者ですが・・・」というものものしい?訪問が・・・
「ご近所の更地から不発弾が出ました。弾頭ですから、危険です。○山空襲当時のものらしいです。今日は、窓に近づかないように・・・」
とのことでびっくり!
マンションの建て替えで更地になった工事現場から、発見されたらしいです。
保護者会があって出かけたのですが、面談の折、○任の先生にそのことを少しお話しまたら、○大の構内は、当時、軍需基地だったようですから、そういうこともあるでしょう。あのあたりは○的になっていたことも考えられますね・・・」
留守番中の娘は、共同住宅の高さからは適当らしく、新聞社やテレビ局から取材、撮影の依頼で、電話や訪問が続いたそうです。
夕方、エリアニュースに取り上げられていましたが、「使用済み・・・」とのことでしたし、すでに無事に撤去されてました。
60年前の戦争の傷跡に思いがけないところで・・・ハプニングでした。
台風が通過する日の夕方、風が強くなりかけているとき、どうしても出かけなくてはならないことがあって、左手に傘をさし、自転車に乗っていったのですが。
傘が吹き飛ばされないように、自転車が転ばないように、妙な力が入ったせいか、昨日は左の肩と首が麻痺状態。
動きません!
風の折に出かけたのが原因、と気づいたのは、昨日の夕方になってからでした。
今朝は・・・
おかげさまで、なんとか、少し回復したようです。
どうも慢性的に肩の痛みが解消しないのは、やはり歳なんかな・・・
メール、ご質問などのお返事がなかなかできなくて申し訳ございません。
明日あたり、復活します。
そして・・・
近頃・・・
あることに「溺れて」いるせいか、日常をときどき、ぽっかり忘れます!
推命についても、こうでなければ、これだけが正解とばかり、凝り固まり他を受け付けない、というよりは、常に自由に「飛んで」いたいので・・・。
アンテナを張って、新しかったり、珍情報であったり、これは!と思うものは、取り込む態勢ですが、
久々に、惚れこむ相手に出会ってしまいました。
ブログのこともすっかり忘れてまして・・・
これは、とことん追求、身に着けないではおれなくて、目下、遊泳中。
数ヶ月を要するかもしれませんが、ワクワクしてます。
ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、鑑定の方は、通常どおり併行いたしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
昨日はライブの本番、聴きに行ってきました。
20代から50代という年齢構成、クラシック、アカペラ、フォーク、ロックと盛りだくさん。
幼稚園のつながりや、地域のご近所、会社の同僚というグループなんだそうですが、かなり凄かったです。
皆さん、このままコンペに出場されても入賞できるくらいの腕前だし、私などもう腰を抜かすくらい、パワー全開で、いっぱい元気をもらってきました。
団塊仲間の上司と夫はふたりで、70年代のフォークを歌ったのですが・・・
上司のIさんは、飄々とした自由人、という印象の方なのですが、ギターや歌からもそんな魅力が伝わってきました。
新婚当時、夫は70年代の歌をギターでよく弾き語りをしてましたが、ひょっとしてあの頃以来かも。
カラオケというものが世の中に登場してから、夜の街ではマイクを離さないタイプだとは知ってるのですが・・・(笑)
なんだか当時が懐かしく思い出され、ちょっぴり惚れ直したりしてました(笑)
とってもお若い同僚さんがギターをお手伝いして下さったり、ビリー・ジョエルばりのエンターテイナーのロックのボーカルさんがハモニカで盛り上げて下さったり、皆さまに支えていただき、無事に演奏できたようです。
心より感謝いたします♪
幼稚園から小学生くらいの子供さん達も、会場を走り回っていましたが・・・
お父さんやお母さんたちの演奏を一緒にワイワイ楽しみながら、あんなにかっこよくギターが弾けたり、ドラマーだったりするパパって素敵だ!て憧れるでしょうし、ママのフルートやピアノの音色にうっとりするでしょうし、
音楽ってこうしてからだ全体で楽しむものなんだな・・・って自然に感じ取ることでしょう。
皆さん、素敵な教育をされてるな・・・って印象でした。
とっても楽しませていただきました。
ありがとうございます!
こういうご質問をいただきました。
「稼動する」という状態。
良い命式ならそうだと思うのですが、稼動すると苦労しそうな組み合わせの場合、それでもやっぱり稼動させる方がいいのでしょうか。
それとも、禍を避けるために稼動させない方が良いのでしょうか。
それとも、稼動させつつ、バランスを補うことを心がけるのでしょうか。
たとえば、大運天中殺などは、無意識で漫然と日々を過ごしているとほぼ下降です。
目的、夢を持っている、という場合は、大天が来ると、無意識でも陽転。
また、大天の存在を知り、意識して稼働させようとするときは、単独、ゼロになる、目上との別れなど環境を作って上昇運をつかむ、などですが、これはある意味、戦術の類になると思います。
大天に関してはやはり後者2例のようになるのが望ましいのではないかと。
難儀な星は、単独で難儀ということは少なく、八字の生剋、盛衰を眺め、ここはいいとしてもこういう難儀が予想される、という形になることが殆どです。
こういう場合、こういうことが起きて来るということを「知っている」ということが大切だと思います。
たとえば、「剋曳交加」というのがありますが、これは日干を剋する剋性と日干を洩らす洩性が、いずれも存在するというとき、これでは日干は弱る一方で典型的な不運の形です。
こういう場合、知らなければ、こういうことが起きてきます。
名誉運は捨てられない、だから頑張る、とことん頑張る。
でも、自己表現も捨てられない、お商売にも色気がある、お金も欲しいから、そういう方面に手を出してしまう。
これでは身が持たず、どちらも潰れてしまい、結局、失敗ということになります。
こういう形があることを知っていれば、後天運との兼ね合いからいずれかを優先、片方への野心は捨てる、という選択ができるわけです。
全く稼働しないということはないまでも、決定的な打撃にはならない方向に持っていけますから。
たとえば、「お商売に手を出したくなりますが、挫折が待っていますよ。浮き沈みの影響を受けないお勤めをおすすめします」という具合に。
ということは、逆に考えれば、知らないで過ごしていくと剋曳交加の事象は自然に起きてくることが多いということになります。
それで味わう苦労を買ってでもしたい、ということであればそれはもうその方のカルマ、その苦労を味わうことでようやく解消できるということではないでしょうか。
でもやはり、難儀の星、形の稼働は、前もって知っておいて稼働させない、稼働しても無難に、という方向に持っていくのが処世だし、それはできることだと思います。
また、たとえば、ご伴侶の方の星に、難儀なことを起こす形や星を、解消してくれたり、不足を補ったりとという組み合わせがありますと、禍を避けていくことができます。
結婚の組み合わせは、やはり肝心ということですね。
藤羅繋甲(とうらけいこう)についてです。
四柱推命の用語ですけど、なかなか味があるんですが、命造中にこれを見かけることがあると、ほっとしたりします。
藤など蔓科の植物は、一人立ちはできないですよね。
支えや棚が必要になるわけですが、
このお話は、野生の藤の場合。
そばにある大木に蔓を巻きつけて、成長させ、あげくの果てには、美しい藤の花で山々を彩ります。
この藤が「乙木」で、支え巻きつける対象が「甲木」ということ。
つまり、乙木が命造中にさほどの強さがない状態で存在しているとき、隣に甲木という支えがあると、乙木は立派に成長して花を咲かせる、という姿から、
天干に乙木と甲木が並んでいる場合や、地支に木の根がある状態を指します。
でも、これにはコツがあって、日干乙木に対して、甲木は「月干」よりも「時干」にあるのがよりいいのです。
そうとも限らないのですが、時干にあることはやはり、とってもいいです。
続きは明日に・・・
なぜ、時柱の方が?と思われるでしょう。
時柱は、単独で日柱に隣り合わせてますね。
時干は、命造内部で、他の干支から影響を受けることは少ないですから、日干には、つきっきりの援助を惜しまない位置なんです。
月干ですと、もう片方の隣の年干からの影響も受けます。
月干の方に、「支え」の甲木があるとします。
そういう場合、年干に「庚金」などがありますと、お互いに剋し合って甲木も損傷を受け、乙木に充分な援助ができなくなってしまいます。
また、こんな場合もあります。
月干甲木、年干己土、これは「貪合」。
甲己同士が仲良くする干合に必死になってしまって、日主の乙木には見向きもしない、ということが起きます。
こういう場合、乙木さんにはあまり頼りにならない甲木君ですが、流年によっては復活します。
また、藤羅繋甲は藤蔓の乙木に限ったことじゃなくて・・・
日主が陰干の場合は全てと言ってもいいでしょう。
つまり、
日主乙木←時干甲木、日主丁火←時干丙火、日主己土←時干戊土、日主辛金←時干庚金、日主癸水←時干壬水、の場合など。
勿論、他の干支とのバランスで、いつでも「喜」とも言い切れないのですが、日主の陰干にもう少し強さが欲しい、というときは、ほぼ「喜」です。
時支が時干を支えている、という条件のもとであることが望ましいのですが。
陰干の日主をしっかりさせたいとき、あるいは、強力にしたいとき、同一五行の陽干の時干の近貼は心強い味方ということです。
同一五行の陰陽ですから、劫財、石門星ですね。
こういう方は、友人や仲間、人間関係が力になってくれるでしょう。
どうですか?
時干に、日干の陰干と同一五行の陽干はありませんか。
丁度、鑑定書を書かせていただいてました方がそうだったものですから・・・
今から思えば・・・
からだに訊いてみたときに、ゴーサインは出てなかったのです・・・
「やってみよう」という、心地よさや熱い思いが、自分でもどうしても感じられず、ちょっと苦痛すらを覚えていたにもかかわらず始めてしまった「メルマガ」でした。
やはり、こういうときは、行動を起こすべきではありませんね。
書きたいことはどんどん溢れてくるのですけど、私の場合、それをマガジン形式に載せるということが、ストレスになってしまって・・・
本当に申し訳ございません。
この苦しい思いのままずるずる継続していくのも本意じゃありませんし、ご登録いただきました方々にもこれ以上ご迷惑もかけるわけにも参りません。
次回の配信をもって、閉じさせていただくことにいたしました。
短い間でしたが、お読みいただきましてありがとうございます。
また、アドバイスをいただいたり、ご紹介いただきました皆様、本当にありがとうございました。ご期待に添えず、ご迷惑をおかけしました。
メルマガの、あのつづきも、思いつくままですけど、こちらのブログの方で、継続していくつもりです。
後日、ご登録いただきました皆様にもお知らせしますが、こちらでお読みいただければ嬉しく思います。
実は、ここ数ヶ月、メルマガ以外に、生活のリズムを完全に狂わせてしまう事態があって、それにも何とか対応しようと、もがいておりまして、
そうこうしている内に、フォーカスすべきものが、ぶれ始め、狂いはじめたのは感じていたのですが、
腰痛で動けなくなったりと、警告サインも受けておりました。
でも、その件も、おかげさまで、すっきり私の中で解決できたようです。
最終号の発信は、近々の予定です。
よろしくお願いいたします。